聞かず嫌いを聞いてみるのブログ

聞いてみようと思いながらも、なんか聞く気が起きないなというアルバムを真剣に聞いてみるブログです

James Blake-「James Blake」

James Blake

James Blake

先日の東京と大阪で行われた来日公演に行ったひとのほぼ全てがパフォーマンスを賞賛したJames Blake. 今年、このアルバムほど待たれていたアルバムはないのではないか。

僕は正直ダンスミュージックを系統的に聞いてきたわけでもないし、枚数もそう聞いていない。何しろパラダイス・ガラージラリー・レヴァンのこともこの間まで知らなかった人間だ。ハウスもディスコもデトロイト・テクノもほぼ真っ白に近い。だから、ダブステップとかポスト・ダブステップとか言われても全くピンと来ない。当たり前だ。

でも、なにも自分の無知をさらけ出して胸を張りたい訳でもなく、この作品やSbtrktのアルバム、Washed Outのアルバムを聞いて、ダンスミュージックを体系的に聞いてみようと思うようになったことを言いたかった。

James Blakeを初めて聴いた人が、これをダンスミュージックだと感じることが出来るだろうか。ダンスミュージックは進化を続け、パブリック・イメージとはだいぶ遠くかけ離れた地点にある。どのようにしてダンスミュージックがここに至るようになったのか自分なりに感じてみたくなった。

聴く人を選ぶような音楽や音楽シーンが時々あって、ダンスミュージックもその中に組み込まれるような時期やシーンがあったように感じていた。僕は音楽は聴く人を選ぶべきではないと強く思うし、万人に対して場は開かれているべきだと思う。マナーは守るけれど、勝手に決められたルールには縛られる必要はないと思う。だけど、悲しいことに聴く人を選びルールを押し付け、シーンが収縮してしまう場面が見受けられる。アニメソングやボーカロイドやアイドルソングが熱狂的に支持される理由の一つに万人に対して開かれていることが挙げられると思う。その音楽を支持してもアーティスト側は自分のことを拒絶することがないという絶対的な了解が音楽シーンには必要である。

なにが言いたいかというと、James Blakeはすべての聞き手に対して開かれているということである。ダンスミュージックシーンの最前線にいて、先人の遺産を継承した(であろう)良作だが、構造はシンプルで生きを飲むほどに美しい音像が作られている。もっと聞かれるべきではないかと思う。もっと紹介されるべきである。

いまの日本には残念ながら、TV以外にみんなで共有するものがない(TVがあるだけ幸運なのかもしれないけれど)から、TVに乗らないものはなかなか拡散されて行かない。BGMとして使われることはあっても、TVで紹介されるような作品ではないから、多分みんなが聞く作品にはならないからもしれないけれど、こういう音楽を求めている人はたくさんいる筈である。TVには出たり、チャートに出たりする音楽に満足していない人は多いはずだ。音楽とどう出会って、どう付き合っていいのか分からないひとも多いはずだ。そういう人とこのような良作をマッチングさせていくことが出来ればいいのに。

iPodとかが普及して音楽に触れる時間は増えたはずだ。溢れている情報からどの作品を選んで、どのように紹介するかが大事だ。大声で宣伝している人は手早く儲けたいか、目立ちたいか、音楽をアクセサリーのように考えている人ばかりだ。

みんなが2011年にJames Blakeを聞いて、世界が少しだけ変わればいいのに。