娘が産まれた
夢心地のまま生きてきた
Life goes on while I'm dreamingって感じで、気がついたらもう30歳にもなるし、生まれた土地からも遠く離れて暮らしている。
きっとこんな感じでこれからの人生も過ぎていくのかと思うと、そういうもんだろうなと思うと同時に、それでいいのかなとも思ったりする。なにせ、我の強い人間じゃないもんだから、流れに身を任せたまま周りに合わせて過ごしていたりする。というより、自分の意見がないことのほうが多いんだと思う。自分は好きにやるから、みんなも勝手にやっていてくれよと。声をかけてもらって、気が向いたらそっちに行くよっていう感じの人生だ。
自分らしいと言えば自分らしいが、なんとも張りのない人生ではある。淡々と毎日が過ぎ去り、残ったものはほとんどないように感じる。自分の生きた証をこの世界に残したいという思いもない。
ただ、毎日生きているだけで満足なように思う。
世の中の価値観とは違うかもしれないけど、本当にそう思う。
こんな価値観に付き合わされる嫁がかわいそうだなと感じるけれど、今更ながら生き方を変えるわけにもいかない。
やれやれ
お盆休みで久しぶりにゆっくりしている。
別に仕事が忙しいわけでも、プライベートで問題があるというわけではないけど、なんだか落ち着かない日々が続いているような気がする。結婚もしたし、仕事ももう中堅どこに落ち着いてきて、責任が感じられるようになっているから、考えることが多いのかもしれない。
思いついたことをそのまま口にしてそれが虚空に消えていくように、自分の存在を受け入れて貰いたいけど、そんなこと嫁にだって要求することができない。やっぱり他人同士である。心を許し合ってはいるけれど、すべてがすべて受け入れてあげられるわけじゃないし、受け入れてもらえるはずもない。子供のように自分のすべてを預け入れて、受け入れられて、柔らかい胸の中に眠りたいと思うけれども、残念ながら僕は子供ではない。
大人になったということなのだろう。なにをするにも、どこかに緊張関係が生じてしまう。少しずつ張り詰めていって、いつか切れてしまう気がするけれど、それとどうにか付き合っていくしかない。
TOKYO No.1 SOUL SET / 黄昏'95〜太陽の季節
野球
今年は野球が面白い。
私は広島に住んでから、広島東洋カープのファンになり、当のカープは相も変わらず弱いのだけど、まぁ野球がおもしろい。
野球が面白くなってきたと言うよりは、面白く野球を見ることができるようになってきた、より野球を理解できるようになったということかもしれない。なにごとも理解が深くなるにつれて、その面白みを理解できるようになる。ようやく野球という競技を理解できるようになってきたように感じる。
野球は技術・体力・戦略性・偶然性が絡みあうスポーツだ。ひとつひとつのプレーが打席という形となって独立して分断され、時間的な余裕が生まれるために、真剣に見ていると否が応にも頭で考えざるを得ない。投手・捕手・打者・守備陣・ベンチすべてがここでの一手を意識的そして無意識に考えている。心理的な変化がプレーに影響を与える。
故障して2軍で調整中の日本ハムの斎藤佑樹の記事をナンバーで読んだ。
「普通、ストライクを取れば取るほど有利になりますよね。でも、あれからは取れば取るほど投げる球がなくなって、どんどん追い込まれていくような感覚があった」(http://number.bunshun.jp/articles/-/507514?page=2)
恐ろしい競技だ。ゲームが時間で流れるのではなく、選手たちが進行を支配しているからこそ、心理的な影響が大きくなる。自分の有利な状況をつくり上げるので精一杯すぎて、途中一服した瞬間にネガティブなイメージが身体を捉えて、本来の力を出せなくなる。
プレッシャーに押しつぶされる選手がいて、なにも考えずマイペースにやっている選手がいる。マイペースな選手の癖を読んで、裏をかく選手がいれば、努力で戦略を乗り越える選手がいる。
野球は面白い。
It’s only Rock'nRoll, but I like it
2012年9月にめでたく結婚をした。
本当にめでたく、毎日がハピネスなんだけど、やはり一人暮らしの時と勝手が違い、どうにも生活のリズムというものを掴めないでいる。
つまり、音楽を聞くことが出来なくなった。
一つに、自分の自由になるお金が少なくなったということ。まぁ、自分もいい年なので、そろそろ奔放に生きるのはやめて、将来に向けて貯蓄をしなければならない。なのでCDもレコードも買うことができない。日々の雑用に忙殺されていく中で、音楽のことなんて忘れてしまう。だから、ストロークスの新譜も、ダフト・パンクの新譜も、ヴァンパイア・ウィークエンドの新譜も買わないまま今、この瞬間を生きている。
また、一つに聞く時間がなくなった。家に帰れば話し相手がいるから、音楽を聞く時間も少なくなるし、この狭い家で音楽を鳴らすのも、相手のことを気遣わないといけない。本当に単純に音楽を聞く時間がなくなってしまった。
一旦、聞かなくなったら、もうダメだ。惰性が僕を優しく包み込んでしまう。綿のような空気に包まれて、貨物列車に乗って運ばれていって、もう元にいた場所には戻れなくなってしまう。
生きていくということはそういうことなのかもしれない。
大事に思って大切にしていたものが、いつの間にか古ぼけたおもちゃに見えるようになるのかもしれない。でも、僕はきっと音楽やロックンロールとずっと繋がることになるのではという確信がある。
だって、It’s only Rock'nRoll, but I like it だからだ。最初からただの遊び道具だって知っていた。おもちゃがどれだけ古びたって、他人から見たらどんなに無価値だって構わない。ただ、触れ合っているだけで幸せだし、大事なものだった。
もう、今までのように遊ぶことはできないけれど、大事に思う気持ちは変わらない。
太るということ
「足りない栄養素は自然と身体が求める」というのは嘘である。
私は身体が求めるまま、ものを食べていたら相当太った。
身体はアブラと塩気を求める。
身体が必要とする以上のものを求める。
身体を信じてはいけない。今日の格言。